正月の二日、剣道会の練習に出席致しました。私は剣道や少林寺拳法を学生時代に学んでおり、その関係で帰郷して以来約十五年間弓削剣道スポーツ少年団の指導をさせていただきました。その教え子も最高齢で四十代となり、中には七段を持つ者も複数います。昨年、三十代で七段を取得するなど、私より遥かに上を行く者も多く、彼らの剣道人生の一時期を指導させてもらった者として、大変嬉しく感じています。
格闘技好きの私としては、剣道こそ武道の最高位に位置すると考えており、社会人になっても一つの武道を継続している彼らが、羨ましくて仕方ありません。
剣道の道具である「垂れ」には所属名が書かれており、「弓削商船」「新居浜高専」「愛媛」「広島」「弓削」などと共に、「Panasonic」という珍しい英語名もありました。
彼らは、学生、学校の先生、民間の社会人として各地で練習を重ねており、高校体育連盟の責任者、あるいは外国であるタイでの指導者としても活躍しています。練習での動きは洗練され無駄がなく、「青は藍より出でて藍より青し」という言葉があるように、私を遥かに凌駕する彼らが、今の私の誇りです。
私も、今年夏までに余裕があれば、再び竹刀を握ってみたいと思っています。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま2月号「こんにちは町長です」より》
昨年の十二月四日から七日にかけて、念願の長崎県の離島、宇久町と小値賀町に行ってきました。午後十一時半、博多発のフェリーで船中泊、早朝の四時十分に宇久島に着き、迎えてくれた観光協会の猪鼻さんの案内により、一時休憩の後、町づくりの説明を平山観光協会会長から受けました。人口が十一人の寺島にも渡り川口区長さんからも離島の窮状を聞かせていただき、佐世保市という大きな町と合併した小さな島への配慮の重要性を改めて感じました。夕食は会長宅に招かれ、捕鯨の伝統からの鯨肉や手作りの料理で歓待を受けましたが、何よりも感動したのは宇久島の祝唄を私の名前を入れるなどして、太鼓に合わせ皆さんが唄ってくれたことです。
小値賀町の西町長や総務課中野さんにも大変お世話になり、古民家の活用や交流の仕掛けなど、上島町の今後の政策に大変参考になることを教えていただきました。船に乗る直前に受け取った袋には、中野さんから島に来てくれた事への自筆のお礼の手紙がありました。
帰りの船は再度宇久島に寄るルートでしたが、そこには観光協会や役場の方々が横断幕やテープを持ってわざわざ見送りに来てくれていました。いくつかの面においては、上島町の方が進んでいましたが、おもてなしの面では学ぶことばかりでした。感謝。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま1月号「こんにちは町長です」より》
お年寄りから子ども達までが楽しみにしていた上島町の秋祭りも、一ヶ月の賑やかな宴のお開きとともに今季の幕を降ろしました。神輿やだんじりを担ぎ、奴や引きだんじり、獅子舞などの運営で体のあちこちが痛くなり睡眠不足も重なって、翌日からの仕事にも差し支えるのに何で祭りに出かけたくなるのか、太鼓の音になぜ心が揺り動かされるのか、いつも不思議に感じていました。
私の中の一つの答えとして、祭りは日本人の魂を繋いでおり、この時期にだけ遠い昔へタイムスリップすることができるから、ではないかと思っています。
祭りは結婚で例えると、だんじりが派手に舞う披露宴だけではなく、結婚式である式典に重要な意味があります。また、それと同等にその日に至るまでの過程も大切なのではないでしょうか。今季も、上島町のほとんどの祭りに参加させていただきました。地域ごとに特色があり、正に上島町が誇る伝統文化を引き継いでいます。その役割を担っている指導者の皆さんは、祭り当日まで毎日子ども達への指導や準備を積み重ねてくれました。見事に披露が終わった後のあの涙は、全力で取り組んだ者にしか与えられない勲章です。
先人と繋がる祭り。今後も「絆」を大切にして行きましょう。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま12月号「こんにちは町長です」より》
九月二十八日、離島甲子園に出場した全国の中学生が寄せ書きをした色紙や横断幕を、気仙沼市唯一の離島である大島中学校野球部の皆さんに届けてまいりました。
気仙沼市には、上島町から九月には高本室長、十月には山本係長が一ヶ月単位での人的支援として出向しており、大きな被害を受けた港湾の設計を担当しています。現地の災害復興担当の方々にもお話を聞かせて頂き、被災現場の視察も行いましたが、私が平成一六年の全国離島振興協議会総会時に訪れた時に比べ、あまりにも様変わりした光景に、現実感を失ってしまいました。
しかし、大島中学校の校長先生から震災直後の子供たちの活躍のお話を聞かせて頂き、また、野球部員の元気な顔と対面することで、大島は必ずや再生復興することを実感いたしました。
上島町で開催した離島甲子園会場において、町民の皆様や応援していただいた町外の方々から多くの義援金を賜り、大島中学校に野球道具を贈ることもできました。この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。
大島の海水浴場の松も枯れていましたが、今後は中学生と共に再生させるというお話も聞きました。被災地の新たな歴史に、これからも末長いご支援をよろしくお願い致します。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま11月号「こんにちは町長です」より》
先日、えひめ防災フォーラムに参加しました。私は上島町の現況報告を行いましたが、講演の中に東北大震災に対する薄れかけた識についてのお話がありました。
それは、「被災現場に行かなくても支援できることはある」ということでした。その方法とは、「被災地の産品を買う。」あるいは「現地の支援制度に参加する」ことなどです。
被災直後や復旧対応において、町民の皆様には大きな御支援をいただきました。ただ、復興を目指して動き始めた現場を、私は以前のように関心を持ち続けているかと自問すると、堂々と答えられる自信がありません。
「完全な防災対策は困難であるが、事前避難など減災を図ることはできる。」というお話もありました。上島町民への公助は全力で対応致します。しかし、災害の大きさにより行政が直ちに機能しない場合もありますので、食料の備蓄等、自助でやれる範囲の事柄は、自ら準備して下さい。
復興に向けて動き始めた被災地には、長期間にわたる支援が必要です。離島甲子園に参加できなかった大島中学校の生徒も頑張っていますので、今後共よろしくお願い致します。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま10月号「こんにちは町長です」より》
上島町役場では、毎月課長会と幹部会を実施しています。
八月は久しぶりに、今は住民票人口がゼロになった、私の妻の故郷でもある豊島で開催しました。
当分上陸していなかった豊島は、先日の台風の影響で、山の頂上付近の桜の葉も茶色に変色しており、想像以上の潮の被害に驚いてしまいましたが、幸いにも「豊島コミュニティセンター」や「ヴィラ風の音」等には大きな被害もないようでした。町民の皆様も豊島に行かれたことのない方は、一度豊島の異なる自然を満喫されてはいかがでしょうか。
先月は、公明党の離島振興対策本部や民主党の離島政策PTの国会議員、過疎地域自立活性化委員、国土交通省・総務省・農林水産省の方々まで、多くの人が上島町を来訪されました。迎えた私達は離島の問題点や提案事項を文書で示し、離島対策の重要性と国策による対応をお願いしました。可能な限り魚島の現状も視察していただき、住民の声も直接伝える場も整えました。現在、国境や外海離島ばかりが注目されている中で、今回は瀬戸内であっても海で隔たれている地域の不便さや、本土との格差の大きさを理解して頂けたものと考えています。私も改めて、上島町は二十五の島で成り立っていることを再認識いたしました。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま9月号「こんにちは町長です」より》
子ども達が大好きな季節、「夏」がやってきました。
今年も、「海開き」「こどもミニ島体験キャンプ」「出会いふれあい交流会」「かみじまふるさと夜市」「シーサイドフェスティバル」など、楽しいイベントが目白押しです。また本年は、離島中学生の夢を乗せた、正式名「国土交通大臣杯 全国離島交流中学生野球大会」、通称「離島甲子園」が上島町で開催され、北海道は礼文島から沖縄の久米島まで合計十九チームの参加があります。昨年は惜敗に涙する上島町の中学生に胸が熱くなりましたが、この夏は昨年より多くの笑顔と交流が花咲くことを願っています。
甲子園といえば、俳句甲子園全国大会に弓削高校が二年連続出場決定という快挙を成し遂げました。愛媛から選ばれた他の五校は、正岡子規の母校でもある「東京大学」に、毎年何名も進学している学校ばかりであり、前回の優勝は開成高校であるように、レベルの高い大会への出場に正直驚かされました。これは、子ども達には限りない才能があるということ、そしてその才能は指導者によって開花するという証明ではないでしょうか。
それぞれの、「甲子園」でのご活躍をお祈りします。
上島町長 上村俊之
《広報かみじま8月号「こんにちは町長です」より》